【書評】「世紀の落球『戦犯』と呼ばれた男たちのその後」

「落球」をめぐる3人の選手たちのその後の物語

店主は本書に登場する3人それぞれの章で不覚にもウルっと来てしまいました。
それは心ないバッシングで人を傷つける人間がいる一方で、苦しむ人間に手を差し伸べる心の温かい人たちもいることを知れたからです。

それは例えば、失意の北京五輪からの復帰戦でファンからの野次を覚悟していたG.G.佐藤に多くの西武ファンが彼を励ますプラカードを掲げて出向えたことであったり。

【補足】
「G.G.立ち直れ」
「どんなときもG.G.はG.G.だ」
「G.G.俺たちはいつもお前の味方だ」
といった数々のプラカードを多くの西武ファンが掲げてG.G.佐藤を出迎えた。

それは例えば、星稜vs箕島で「世紀の落球」をした加藤直樹のことを、教え子でもないにもかかわらず対戦相手箕島高校の尾藤公監督がずっと気に掛けていたことであったり。

【補足】
甲子園の試合から15年後。和歌山県に両チームの当時の選手たちが集まり再試合が行われた。
試合後に「今日は加藤のために乾杯しようや。よくきてくれた」と乾杯の音頭をとったのが箕島の尾藤公監督。
交流はその後も続き、3年後には再々試合が行われ、尾藤は皆に大きな声で「私はこの場で加藤くんの名誉のために言っておきます。あのときのファーストフライはエラーじゃなく、転倒です」と話した。ちなみにこの時尾藤の体は癌に蝕まれていた。

それは例えば、ワールドシリーズで「世紀のトンネル」を犯し、自分と同じ境遇にいながらも力強く生きるレッドソックスのバックナーに生きる力をもらい、再び立ち上がった元阪神の池田純一の姿であったり。
池田が引退後に開いたジーンズショップに頻繁に訪れては(自分はジーンズを履かないのに)大量に購入していた現役時代の恩師・村山実の姿であったり。

【補足】
ある司会者の『あのとき池田がエラーをしてなければ、阪神は0.5差で優勝できたんじゃないか』という不用意な一言からシーズン終了後に激しいバッシングを受け始めた池田純一。引退後もバッシングに苦しんだが、ワールドシリーズで「世紀のトンネル」を犯しながらも『これが私の人生です。このエラーを自分の人生の糧にしたい』とコメントしたレッドソックスのバックナーの発言に感銘を受け、ついには番組の企画を通じてアメリカに渡り、本人に会ってしまう。

今も昔も変わらない「犯人探し」が好きなメディアの無責任な報道。
不当なバッシングを受けた彼らは精神的に追い詰められ、苦しい思いもされたことでしょう。
しかし、激しいバッシングを経て人の苦しみ、痛みがわかるようになるのかもしれません。

G.G.佐藤は当時の落球を笑って振り返られるようになり、自分の苦しみは「被災された方々の悲しみ、苦しみに比べれば、小さなことだと感じました」と語り、千葉ロッテ移籍後は年俸1000万にもかかわらず自腹で300万を払い千葉で被災した少年ファンたちを招待しました。

池田は「自分の体験を話すことで人を励ましたい」と思うようになり、仕事の合間を縫って講演活動に精を出しました。

この本を通じて、彼らがどん底から立ち直った様子を知り、彼らを励ました人たちがいたことを知り、そのことに勇気をもらった人もたくさんいるはずです。それは池田氏の言葉を借りれば「すべてのことに意味がある」ということなのかもしれません。

野球の神様は時に非情な試練を選手たちに与えますが、人を見て与えているようにさえ思えます。

最後にバックナーが池田氏に言った名言を紹介します。

「人生にエラーはつきものだ。大事なことはそのあとをどう生きるかだ。たかが野球、ゲームじゃないか。長い目で見るとつらいことの方が大きな意味を持つんだ。あのエラーがあったから、今の人生があると言えるよ」

「世紀の落球」

・澤宮優
・中央公論新社
・836円

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