【蘇る名作】『10・8 巨人vs.中日 史上最高の決戦』(2015/9/2発売)
「野球書店」開設以前に発売されたため、不幸にも当サイトで紹介できなかった野球本を【蘇る名作】シリーズとして紹介させていただきます。今回は2015年に発売された鷲田康氏の『10・8 巨人vs.中日 史上最高の決戦』(文藝春秋)です。
(鷲田康/文藝春秋/763円)
負けるべくして負けた中日、勝つべくして勝った巨人
中日ファン歴30ウン年の店主にとっては振り返るには辛すぎる試合ですが、四半世紀以上の時間が流れようやく振り返ることができました。
本書を読むと記憶違いしていたこと、知らなかったことが数多くあり自分でも驚きました。
■山﨑武司がスタメンじゃなかった。
→FA移籍した落合と入れ違いでレビギュラーになったと記憶してましたが、この年は38試合の出場に留まりブレイクは2年後の96年でした。
■立浪がショートを守っていた。
→92年からセカンドにコンバートされていたのですが種田仁の故障でショートを守っていたようです。
■先発今中の睡眠を妨害するために早朝電話した新聞社があった。
→本書では『朝日新聞の記者と名乗る人物からの電話』とありますが、読売新聞からの妨害であったことを示唆しているようでもありました。
■大豊は落合が嫌いだった。
→若手時代に落合にいじめられ『今でもあまり好きではない』と堂々と公言しています。
■落合は試合前に中村武志に話しかけ心理戦を仕掛けていた。
→試合前、中村の横にやってきた落合は『今日は今中だなぁ』『あいつはホントに凄いピッチャーだよ。あのカーブがあって真っすぐが来たら、俺はあいつの真っすぐは絶対に打てん!』それだけ言って去っていきました。結果、この試合の先制点は今中の内角寄りの真っすぐをライトスタンドに運んだ落合のホームランでした。
■桑田は試合前のランニング中に泣いていた。
→この試合まで桑田は巨人ファンからも野次られる存在だったそうです。しかし試合前に外野をランニングしているとそこに野次はなく「桑田ー!頼むぞー!」という声援ばかり。ようやく自分も巨人の一員に認められたのだと桑田は泣いたそうです。
■試合実況した東海テレビの吉村功アナ、実は巨人ファンだった。
→ずっと中日ファンだと信じていたのに…この本で一番の衝撃でした。
■試合翌日、星野仙一宅を訪問した中村武志は激昂されていた。
→高木守道解任、星野仙一復帰という既定路線をも破綻させた10.8決戦。表向き『高木さんが来年も続けるべき』と語っていた星野でしたが中村に対しては『わしの監督就任が決まったのにお前らは何をやっとんじゃ!』と激怒していたそうです。
記憶違い、新発見があった一報で校閲ミスもいくつかもありました。
『元木がこのとき3年目ー』『この試合をテレビで見ていた新井貴浩は広島工業2年だったー』とありましたが、元木は90年のドラフトで1位指名を受けこの年が4年目、新井は店主と同い年なので高校3年生ですね(重箱の隅を突いてすみません)。
さて、試合内容について振り返ると、26年の歳月が経過しているとはいえ「何やっとるんだがや!」とやはり怒りがぶり返してしまいます(ちなみに店主は大分出身ですが、中日がふがいない時には名古屋弁でツッコんでしまいます)。
初回、無死二塁の先制のチャンスに清水雅治(現阪神ヘッドコーチ)が打者のバント見逃しに引きずられて飛び出して牽制アウト。
2回裏、同点に追いついてなお押せ押せの流れの中で『アウトカウントを勘違いした』という信じ難いボーンヘッドにより中村武志(現中日バッテリーコーチ)が走塁死。
この試合に至るまで、破竹の勢いで首位巨人を追い上げ同率首位に並んだ中日。
運命の最終戦の舞台はホームのナゴヤ球場、先発は巨人キラーのエース今中慎二。
どう考えても流れは中日だったのに、序盤から凡ミスを繰り返していては勝利の女神が逃げ去っていくのも必然でした。
本書では、この大一番に対する両監督のアプローチの違いについても言及されているのですが、それがとても興味深かったです。
負ければ辞任する覚悟だったという長嶋茂雄は、試合当日に行われたホテルでのミーティングで、
『俺には判るんだ。勝つのは我々なんだよ。点差だって判っている』
と選手達に暗示し、最後には
『勝つ! 勝つ! 俺たちが絶対に勝つ!』
と腹の底から叫んだそうです。
選手としてミーティングに参加していた原辰徳も
『凄いミーティングでした。あのミーティングで一気に我々の闘争心に火がついた感じでした』と振り返っている。
原だけでなく、桑田、槙原、斎藤、松井秀喜も、この時の長嶋の訓話によってチームの士気が一気に上がり集中力が高まったと証言しています。
試合でもそれは表れ、「負ければ引退」を覚悟していた落合も、先制ホームラン、勝ち越しタイムリーというバットでの活躍はもちろん、守備で左足を痛め(肉離れ)トレーナーから出場を止められても『俺は試合に出るぞ!』とテーピングぐるぐる巻きで出場を強行するなど、この一戦の特別さを背中で示しチームを鼓舞しました。
投手継投も、先発の槙原が早々にKOされると内転筋を痛め万全ではない斎藤を投入し、その後はシーズン終盤の登板過多で疲労困憊の桑田を投入。「三本柱」を惜しげも無くつぎ込み、長嶋は「絶対に勝つ!」姿勢を明確に示しました。
ちなみに斎藤はキャッチャーの村田(1年先輩)に、マウンドで内転筋の違和感を伝えると、『バカヤロー!切れてもええから投げろ!この試合に勝てるんやったら、筋肉の一本や二本切れてもええんじゃ!』と一喝されたそうです。ちなみにこの時代「パワハラ」という言葉は日本にはまだ存在していませんでした(一般に普及したのは2001年)。
一方で中日はというと、監督の高木は試合前のミーティング時点から「普段通りにやる」ことを宣言。ミーティングも長嶋のように熱く選手を鼓舞することもなく実にあっさり。今中がKOされても山本昌、郭源治といった主力投手を温存。その様子を大豊は『なんで山本昌や郭源治さんを投入しないんだ!』ともどかしく思っていたそうです。チームが勝利、優勝に向けて一つになれていないことが伝わってきます。
『ああいう試合を普段通りに、いつも通りにやろうという考えは大間違いでした』
『マサ(山本昌)やゲンジ(郭源治)を注ぎ込むことも当たり前のようにやらなければならなかった』
『何よりも監督が先頭に立って、さぁやるぞ、引っ張っていかなければいけなかった』
後年、この試合の采配を高木は悔いています。
そのリベンジの機会がこの試合から18年後、同じ巨人を相手にしたCSで訪れることになるのですが、この時もまた悔いの残る投手起用をしてしまっています…詳しくは本書を読んでください。
長嶋は、初代監督の藤本定義、川上哲治の時代から築き上げてきた『勝つためには選手は何をしなければならないのか』という伝統を受け継いでいると語っていますが、著者は巨人軍の伝統について次のように書いています。
『すべてのことにチームの勝利が優先する。選手はチームのために何をし、何をできるのかということを、いつも問われる。長嶋自身が王貞治とともにON砲として球界に君臨してきたときから、そのことを徹底的に叩き込まれてきた。
それが巨人の伝統だった。
だから槙原も、斎藤も、桑田も、何の躊躇もなく、けがをも恐れずにマウンドに立つ。そしてあの落合といえども、この巨人の伝統の前ではチームのために、傷ついてもなお、グラウンドに立ち続けようとしたのだった』
そんな巨人の伝統がこの「10.8」には集約されていました。
巨人とは対照的に、いざという場面でミスが飛び出し、ここぞのところで力が発揮できなかった中日について高木はこのように語っています。
『私は負けず嫌いでしたけど、その反面諦めも早かった。
(中略)
個人プレーに走る選手が多くて、あほらしいと思ったこともなんどもありました。そういう何が何でもという気持ちに欠けているのも、これは中日の体質でもあるわけです』
巨人の勝因を長嶋は『伝統』に見出し、中日の敗因を高木は『体質』に見出している点もまたとても興味深かったです。
26年間、ずっと序盤のミスさえなければ中日が優勝したいたはずなのにー
そんな風に考えていましたが、本書に出会い、巨人が勝つべくして勝ち、中日が負けるべくして負けたのだと、ようやく現実を受け入れることができました。
「江夏の21球」とはまた違った、ノスタルジックに浸れる面白いノンフィクション作品でした。
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