「野球監督 日米150年史 第40巻: 東尾修、伊原春樹、石毛宏典」

・海里龍馬
・野球文明研究所
・99円(Kindle)

第40巻は西武ライオンズ黄金時代に主力選手、参謀役として貢献し、監督としても足跡を残したOBたちの前編として東尾修、伊原春樹、石毛宏典が登場。
1994年オフ、森祇晶監督退任後の後任監督を要請された石毛は現役続行を希望してダイエーホークスへFA移籍し、急きょ白羽の矢が立ったかつてのエース東尾修は、石毛、工藤公康、清原和博ら主力のFA流出に直面しながらも、西口文也、松井稼頭央らの若手選手を次々と抜擢して1997、98年に連続リーグ優勝を果たす。
2001年限りで東尾が勇退したあと、やはり現役続行を希望して監督要請を断った伊東勤に代わって監督に指名された伊原春樹は、森監督の下で参謀役として優勝に貢献した明晰な頭脳を生かし、就任1年目に球団歴代最多、そしてNPBの新人監督記録となる90勝を上げてパ・リーグを制するが、日本シリーズでは巨人にストレート負けを喫する。
ダイエー移籍後、故障などで出場機会に恵まれず1996年を最後に現役を退いた石毛は、ドジャースへのコーチ留学を経てダイエーの二軍監督に就任したものの、フロント幹部との対立が原因でわずか1年で解任される。2002年にはオリックスの監督に迎えられたものの、イチローのメジャー移籍後それを補う補強がなく、石毛自身も指導者としての修業期間が短いままの監督就任だったため、1年目は1963年の阪急時代以来となる最下位、2年目も開幕から低迷し、わずか20試合で解任の憂き目にあう。
そのあとを受けて西武を任期満了で退任した伊原が就任したが、相変わらずめぼしい補強がないうえに、シーズン途中でオリックスと近鉄の合併話に端を発した球界再編騒動が勃発し、伊原自身も選手との齟齬が目立つようになって、シーズン終了後、合併球団の発足に伴って退任。2014年には西武監督に復帰したものの、あまりにも古いその野球観が選手に受け入れられないまま、チームは開幕から低迷を続ける。

【主な内容】
第10章 西武ライオンズ黄金時代の DNA継承者たち①
1.東尾修
・退潮期にコーチ未経験で監督就任も若手の積極起用で二度のペナント獲得
・球団史上四人目のリーグ連覇監督となるも日本一はならず退陣
2.伊原春樹
・就任1年目に新記録でリーグ優勝果たすも「自己アップデート」を怠り大成功に至らず
3.石毛宏典
・「現役」へのこだわりが、指導者としてのセカンドキャリアに影を落とす

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