「でも、広島には前田がいた」(石井琢朗/ヤクルトスワローズコーチ)

「俺たちの『戦力外通告』」からのことば

これまで読んできた野球本の中から特に印象に残った「ことば」、考えさせられた「ことば」などを紹介します。

「横浜の最後の数年は、正直辛かった。生え抜きの代表選手として、見本であり、完璧である必要があった。ポジションを譲れない意地もあった。

『でも、広島には前田がいた』

前田智徳、広島一筋の男が、石井が持っていたプライドや意地を溶かしていった。

『若くていい選手もたくさんいる。道は前田が示してくれる。ならば俺は鏡になろうと思った』

外様としての立場を受け入れ、謙虚さを手にして、石井は違う色の花を広島で咲かせた。」

(石井琢朗/ヤクルトスワローズコーチ)

【掲載されている本】

俺たちの「戦力外通告」

(著者:高森勇旗/出版社:ウェッジ/価格:1404円 Kindle版:1300円)

 

ベイスターズ最後の1年、石井は故障した膝が思うように動かなかったそうだ。

そして開幕早々、監督に復帰した大矢明彦によって連続フルイニング出場の記録を止められた。

石井自身が「男にしたい!」と思った恩師にである。

この頃のことを石井自身は、

「この時の葛藤は、そのまま態度や言動に表れていたと思う」

と語っている。

試合に出れなくなったベテランが不貞腐れることほど、球団にとって扱い物はないだろう。

案の定、石井はこの年の秋に球団から引退勧告を受けることになる。

しかし、「まだやりたい」とこれを固辞して自由契約となり広島に拾われる形となる。

広島にはベイスターズで石井自身がそうであったように、”生え抜きの代表選手”前田智徳がいた。

『若くていい選手もたくさんいる。道は前田が示してくれる。ならば俺は鏡になろうと思った』

石井はベイスターズ時代に背負っていたいろんなものから解放されたのだろう。

外様の立場を受け入れ、謙虚さを手にした石井は見事に”違う色の花を広島で咲かせた”のだった。

現役引退後の石井はご存知のとおり、広島、ヤクルトでコーチとして指導力の高さを見せている。

引退勧告を受け入れ、そのままベイスターズでユニフォームを脱いでいたら今の石井はあっただろうか?

そんなことを思わずにいられない。

それにしても前田智徳の存在感、カッコよすぎる!

 

 

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