「野球監督 日米150年史 第30巻: 広岡達朗」

・海里龍馬
・野球文明研究所
・99円(Kindle)

第30巻は、管理野球の権化と呼ばれながら、ヤクルトと西武の2球団で日本一に輝いた広岡達朗の後編。

1982年、西武ライオンズの監督に就任して3年ぶりに現場復帰を果たした広岡は、練習から食生活まで完璧なコンディション調整を選手に要求してチームの体質改善に乗り出し、ヴェテラン選手の激しい反発を受けながらも決して妥協せず、同年の前期優勝を果たすと、プレイオフでも日本ハムを下してペナントを獲得し、日本シリーズでも中日を破って就任1年目での日本一を達成する。
2年目には古巣巨人を破って2年連続日本一に輝くが、コミュニケーション能力の欠如が顕在化すると腹心だった森昌彦コーチと袂を分かち、エースの東尾修ら主力選手との対立も表面化して1984年は3位に終わり、翌1985年にペナントを奪回したものの、阪神との日本シリーズでは不可解な投手起用などが原因で敗退し、シーズン終了後に辞任して短い監督生活を終える。
1995年にはロッテのGMに就任し、ボビー・ヴァレンタイン監督を招聘して10年ぶりの2位に躍進したものの、シーズン中から激しく対立したあげく、ヴァレンタインを解任に追い込み、自身も翌年人気途中でその座を去る。

【主な内容】
第6章・日米野球界 「群雄割拠の時代」の監督たち(1970年代後半〜90年代前半)
2.上田、古葉、広岡、森──NPBの群雄割拠時代③〜
広岡達朗〜“ミスタースクラップ&ビルド”毀誉褒貶相半ばの野球人生②
・「三番手候補」での西武監督就任/“ショック療法”でぬるま湯チームを大改革
・コミュニケーション能力に疑問を抱かせた東尾との対立
・参謀役・森との決別が影響し日本シリーズ敗退、そして退陣へ
・広岡達朗 略年譜②(1982〜)

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