【蘇る名作】『球童 伊良部秀輝伝』(2014/5/10発売)

「野球書店」開設以前に発売されたため、不幸にも当サイトでご紹介されなかった野球本を【蘇る名作】シリーズとして紹介させていただきます。記念すべき第一作はちょうど6年前の今頃に発売された、田崎健太氏の『球童 伊良部秀輝伝』(講談社)です。

(田崎健太/講談社/1430円)

知らなかった、本当の伊良部秀輝がここにいる

映画好きが高じて脚本家の養成学校に通っていた時期があります。そこで面白い脚本とは何かを学びました。それは意外に単純で、主人公が困れば困るほど物語が面白くなるということでした。困難に陥り、敵やライバルと対立し、争い、裏切られ、悩み、葛藤するー
そして、それらを克服した主人公の成長と変化を描けば面白い脚本ができあがるのです。ディズニー映画を何でもいいから思い出してみてください。ほとんどの物語がこのパターンに当てはまると思います。

『球童 伊良部秀輝伝』を読むと、伊良部秀輝という人物の人生は、不謹慎ではありますが脚本にすれば物語が面白くなる要素がふんだんに詰まっているように思えました。それほど彼の人生は困難、対立、争い、悩み、葛藤の連続だったからに他なりません。

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「伊良部はちょっと神経質な子なんです。誰か信用できる人をそばに置くことはできませんか?」
意味が分からず、鈴木は首を傾けた。
「伊良部というのはいい奴です。決して後輩や弱いものをいじめたりはしません。ただ….」
「ただ?」
「あいつはそばに誰か信用できる奴がおらんと精神的に不安定になるんですわ。高校でもそういう親しい奴がずっといました」
(中略)
「それと伊良部が何か悪いことをした場合、怒り方があるんです」
「はぁ」
「まず強く出ないでください。強く出ると強く返ってくる。叱るときは、こういう風にしてください」
そう言うと突然、体を横に向けた。
「横を向いたまま、目を合わさず、穏やかに話すんです。目を見て強く出ると、必ず反発するので」
(第3章「覚醒」より)
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伊良部の母校・尽誠学園の関係者はドラフト当時、ロッテのスカウトに伊良部の「トリセツ」についてこのように話していました。
腫れ物に触れるかのように大事に扱われ、甘やかされて高校時代を過ごしてきた伊良部をロッテ時代のチームメイト・小宮山悟はこのように見ていたそうです。
・自分に甘く、他人に厳しい
・自分の考えを認めてくれる人物としか付き合わない
・自分で強く言えば何でも通ると思っている節がある
・頭ごなしに何かを言われると必ず反発した

そんな伊良部と激しく対立したのが当時の広岡達朗GMです。
上述のトリセツにしたがって言えば、広岡は伊良部の怒り方を知らなかったということになります。

さて、広岡達朗とはどんな人物なのでしょうか? 著者であるノンフィクション作家・田崎健太氏の『ドラガイ』(カンゼン)という本にはこうあります。
「広岡はその冷静で知的な外見と裏腹な幼児性があり、選手の好き嫌いが激しい。そのため個性のある選手としばしば衝突してきた。  その一例が、八四年に日本ハムファイターズからライオンズに移籍してきた江夏豊との関係だ。広岡は選手の食生活にまで厳しく目を光らせ、肉料理を外し玄米食を強制していた。  あるとき、江夏が監督は玄米食を食べているのになぜ痛風なのだと口にしたことがあった。その瞬間、周囲が固まったという。それ以降、広岡との関係は冷えたものになり、江夏は一軍で一度も登板することなく、ライオンズを去ることになった。」
(「『ドラガイ』CASE6 松沼博久・雅之」より)

そんな広岡と伊良部の衝突は必然でした。

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広岡や球団代表たちは球場の関係者席に備えつけられたモニターで試合を観ていた。伊良部は部屋に入ると椅子に腰掛けた。
身を預けた瞬間、椅子が少し動いた。軀を動かすと椅子が前後に揺れた。伊良部は足で床を強く蹴って椅子を滑らせ始めた。一方の壁に着くと椅子を回転させてまた壁を蹴ったー

シャーシャーというキャスターの回転音が部屋に響いた。モニターに見入っていた広岡は眉をひそめて振り向いた。広岡の視線を感じながら、伊良部は椅子を滑らせるのをやめようとしない。
「いい加減にしろ」
じれた広岡が声をあげた。
「は?」
わざと伊良部はとぼけた。
「ちゃんと人が投げているのを観ろ。他の投手が投げているのを観ると勉強になるものだ」
憤然とした表情で広岡は画面を指した。
「そうですか?」
伊良部が返すと、広岡は「だからお前は未熟なのだ」と話し始めた。伊良部はそれを待っていた。
「おっしゃることはわかります」
広岡の言葉を遮った。
「でも、ぼくらにピッチングを教える暇があったら、初芝さんの守備をどうにかしてくださいよ。あの守備で足を引っ張られた。あなたは野手専門なんだから、ピッチャーをとやかく言うよりそちらを教えたらどうですか?」

そう言うと伊良部は勝ち誇った表情で部屋を出て行った。そして小宮山を見つけると「言ってやりましたよ」と顔をほころばせた。広岡とのやりとりを聞いた小宮山は「子どもかよ」と呆れた。
(第4章「肉を切らせて骨を断つ」より)
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突然名前を出された初芝のもらい事故感はさておき、この描写はとても興味深いものがあります。
伊良部がキャスター椅子でシャーシャーと滑らせている様子はそのまま伊良部の幼稚性をよく表しています(ちなみに、このような言葉に頼らず何かに託して心情を表現する技法を脚本の世界では「シャレード」といいます)。
2人のやりとりも短いながら実に伊良部らしく、実に広岡らしいものがあります。2人の真逆の人間性がよく伝わってきます。そして、伊良部と同じく広岡に理不尽な扱いをされ怒りに満ちあふれていたはずの小宮山の大人の対応が伊良部の幼稚性をさらに際立たせています。
「田崎さん、その場にいたんですか?」
と聞きたくなるほどの描写に、僕の中のリトル張本が「あっぱれあげてください」と囁かずにいられません。

伊良部は実の父親の顔も知らず、姉と妹とはそれぞれ父親も違っていました。幼稚園の頃は金髪で「アメリカ人の血が入っていると」激しくいじめられたそうです。

そのような環境で生まれ育ち、激しさと繊細さを併せ持った伊良部を田崎氏はこのように表現しています。

「伊良部は心の中に獣を飼っていた。その獣は嫉妬深く、劣等感の塊だった」
(第3章「覚醒」より)

その獣は伊良部が心を寄せていた香川県にある「導不動尊」という寺院にいるときだけ大人しくなったそうです。高校時代からプロ入り後も、伊良部は折を見てこの寺院に足を運んでいました。

伊良部を破滅へ導いたものがあるとすれば、それは「導不動尊」のように心を落ち着ける場所がアメリカにはなかったこと、大好きな野球から離れてしまった寂しさと虚無感、そして酒ということになるのかもしれません。
それらが絡まりあい、最愛の妻と子どもが家から出て行ってしまったとき、絶望の淵に立たされた伊良部は衝動的に首にロープをかけてしまったのかもしれません。

最終章の「実父の告白」を読むと胸が締め付けられます。
本書ではモントリオールエキスポス時代のチームメイトであり、日本ハムでコーチとしてダルビッシュ有を指導したこともある吉井理人が「伊良部とダルビッシュは似ている」と語っています。伊良部が生きていれば、2人はどんなピッチング論、野球談義をしたのでしょうか。

「あの頃は俺も若かったよ」
そんな風に笑いながら現役時代の喧騒を振り返る伊良部の姿が見てみたかったです。

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