「それが金農だから」

田舎の公立高校が甲子園で起こした一大旋風。
それは「爽やかで純朴な選手たち」が作り出した感動の物語ー

そんな印象を受けた高校野球ファンも多かったと思います。
しかし、本書『金足農業、燃ゆ』の中で描かれている”本当の彼ら”は、時に指導者にもケンカを売る、一筋縄ではいかない、熱く、泥臭い、クソガキたちでした。

吉田輝星はそのルックスからも太田幸司、荒木大輔といった「正統派甲子園アイドル」の系譜に連なる存在と思われていると思います。
しかし、本当の彼はグラウンド外で会った対戦相手を威嚇し、味方のエラーにブチ切れ、大人の言うことに反発するという「クソガキ」連中の王様的な存在でした。

そんなクソガキ連中と「戦争」と表現されるほどの厳しく、そして前時代的な猛練習とトレーニングを課す伊藤コーチとの「戦いの記録」が本書であると言えると思います。

そしてその戦いの「戦果」が甲子園準優勝だったのかもしれません。

「それが金農だから」

本書の中で選手、指導者、OBたちの口から度々出てくる言葉です。
2年前の夏、地方予選から甲子園の決勝まで一人で投げた吉田輝星に一部識者からは「酷使だ!」「時代錯誤だ!」と、監督の選手起用が非難され議論を呼んだことは記憶に新しいところです。
しかし、吉田輝星本人も監督もコーチも親もOBも誰もそんなことに疑問すら感じていないのです。

なぜなら「それが金農だから」。

そんな「金農」とはどんなところなのでしょうか?

金農に進まなかったある選手は言いました。
「あそこは宗教みたい。野球部は特にすごいです。周りにいたOBを見ていて、こういう人たちなんだなと。やんちゃというか。僕はあそこではやっていけないと思った」(本書より)

吉田自身も入学時はこう思ったそうです。
「ここだけ時間が止まってるというか。あいさつとかも、気持ち悪いくらいおっきくて。『腹の底から叫べ!』みたいな感じなので。先輩もすっごい怖いし」(本書より)

本書で紹介されている「金農野球部あるある」にはこんなものも紹介されています。

〈試合開始の挨拶後、必ず相手に詰め寄っていく〉 要するに、相手を挑発する。
〈公式戦5回終了後。トンボは一年生が制覇する〉取れないなら喧嘩してもOK。

意味があるとは思えない伝統。
およそ科学的とは言いがたい苛酷な練習、トレーニング。
9人で戦い、一人の投手がマウンドに立ち続けるクラシカルな戦い方。

どれも外部から否定するのは簡単だと思います。
しかし、選手たちの口から 「それが金農だから」と言われたら、外部の人間は何を言えるでしょうか?

甲子園の閉会式で高野連会長が「高校野球のお手本のような戦い方」のような発言をして金農を讃えましたが、金農のやり方を全くお手本にはなりません。

しかし、本書を読んでこう思うようになりました。
「こんな野球部があってもいいじゃないか」

ちなみに、甲子園で話題となった吉田の侍ポーズは「ちんちん侍ゲーム」と呼ばれる卑猥な遊びがルーツなんだそうです。
そんなルーツ、確かに日刊スポーツも「熱闘!甲子園」も「甲子園の星」も紹介する訳ないですよね(笑)。

「絶対に金農で野球をやりたくない」
「息子を金足の野球部には絶対に入れたくない」

読了したときの店主の率直な気持ちです。

でも、なんということでしょう。

「金農をまた甲子園で見たい!」
「吉田輝星、日ハムでガンバレ!」

こんな気持ちも同時に芽生えていました。

そんな、2月に読んだ本で一番面白かった野球本「金足農業、燃ゆ」でした。

中村計
文藝春秋
1980円(Kindle版 1800円)

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